
最近、温泉でぼーっとして過去を思い出したりしていると、転職をして一年経った今だから、やっと言葉にできることがあると気づいて書きます。これは正解云々ではなく、自分の整理になります。
- 人の役に立ちたくて、医療に入った(原点)
- 中に入って見えた、医療という構造
- 「人の役に立つ」は医療にしか存在しないのか?
- 分かっていたから、離れた
- まず自分を救わないと、何も続かない
- 最短距離を選ばなかったというだけの話
- 選択肢を増やす側に回るということ
- 終わりに、これからの10年どう生きたいか?
人の役に立ちたくて、医療に入った(原点)
自分が最初に選んだのは、医療の世界。
理由はとても単純で「人の役に立ちたい」と思ったから。
前職では、大学卒業後から医療機器の設計をしていました。
家系も医療系で身近に医療がある環境だったことも大きいと思います。
だから、この選択は勢いでも逃げでもなく、かなり自然なものだったと覚えています。
「人の役に立つ仕事がしたい」
この動機は、今振り返っても本物で、少なくとも当時の自分は、
・評価されたいから
・安定したいから
ではなく、ちゃんと「役に立ちたい」と思っていた。
だから今でも一切否定しません。寧ろ人生の原点として誇りに思っている部分です。
中に入って見えた、医療という構造
ただ実際に中に入って働いてみると、外から見えていた医療とは少し違う景色が見えました。
医療は確かに尊い。
社会に必要不可欠だし、なくなることはない。
でも、同時に、
・規制は年々厳しくなる(リスクアセスメント、改正JIS対応等の維持業務の増加)
・報酬は制度に強く縛られている(病院経営、メーカー利益の逼迫)
・失敗のコストが極端に重く、設計の自由度が狭い(承認・申請、一変)
という世界でもありました。
ここで初めて、
「医療じゃなきゃダメな理由って、なんだろう?」
という問いが、頭ではなく身体感覚として出てきました。
「人の役に立つ」は医療にしか存在しないのか?
働くうちに、もう一つ大きなズレに気づいたことがあります。
「人の役に立つ」という気持ちを、「どの業界で働くか」と一対一で結びつけてしまっていたこと。
・医療で直接救う
それは確かにわかりやすい「役に立ち方」だと思います。
でも、世の中を見てみると、人の役に立つ形はもっと沢山ある。
・漫画を描いて、人の心を救う人がいる
→ 言葉にできない感情を、誰かの代わりに描いてくれるから
・アイドルとして、人の心を救う人がいる
→ 「明日も生きよう」と思わせる存在になるから
・音楽を作って、人の心を救う人がいる
→ 孤独な夜に、感情に居場所を用意してくれるから
こういう間接的な役割も、確実に誰かの生活を楽にしている。
自分がいつも自然と考えてしまうのは、
「なぜこうなっているのか」
「どこで無理が生まれているのか」
「どうすれば壊れにくくなるのか」という構造の方でした。
ここでようやく、医療に違和感を覚えていた理由が言語化できた気がします。
分かっていたから、離れた
医療から距離を取ったことは、逃げでも諦めでもないと思っています。
むしろ分かってしまったから、残れなかった。
医療は人を救う。でも同時に「支える側の人が耐えることで回る構造」でもあります。
自分はその構造を外からではなく、仕事や家族を通して内側から見てしまった。
転職の際には、テルモから内定をいただいたこともありました。
家族にも喜ばれ、社会的にも分かりやすい「正解」だったと思います。
それでも最終的に選ばなかったのは、医療を否定したからではなく、「自分が続けられる役割ではない」と感じたからです。
まず自分を救わないと、何も続かない
もう一つ、はっきりと分かったことがあります。
自分が消耗し切った状態で人を支えると、
・無意識に自己犠牲になる
・「報われない」と言う感情が溜まる
・いずれ続かなくなる
結果的に誰も救えなくなる。
だから、「人の役に立つためには、まず自分が救われないといけない」と言う結論に辿り着きました。
これは利己的な甘えでもなく、前提条件の話だと思っています。
最短距離を選ばなかったというだけの話
今やっていることは、遠回りに見えるかもしれません。
でも、これは「苦しみを再生産しないための設計変更」なんだと捉えています。
分かりやすい善や評価といった最短距離を一度と通って、「これは続かない」と理解した。
だから今は、自分の限界を知った上で、自分の得意な手段で現実的に続く形を選んでいます。
選択肢を増やす側に回るということ
現在、自分は化学系の会社に勤めていますが、やりたいのは誰かの人生を直接変えることではないです。
でも、
「こう言う考え方もある」
「別のルートもある」
そう設計者として示すことはできる。
選択肢が増えれば、救われる人は確実に増える。
それが自分なりの「人の役への立ち方」だと思っています。
終わりに、これからの10年どう生きたいか?
年を明けると、29歳になりますが、正直に言うと「時間がない」と感じています。
それは焦りというより、40歳になった時に選択肢が残っていない状態が怖いという感じです。
若さで無理が効くフェーズは、永遠には続かない。体力も、集中力も、環境も少しずつ変わっていく。当然キャリアの先細りも含まれます。
だからこそ、今は、
・自分の限界を正しく理解して
・凡人であることを前提にして
・それでも生き残れる設計をする
そのフェーズに入ったと思っています。
自分は残念ながら、ずば抜けた才能を持った人間ではないです。
天才型でも、カリスマ型でもない。
でもその代わりに、
・技術(機械・実務)
・構造理解(組織・世の中)
・言語化(考えを整理し、共有できること)
・倫理観(短期で信頼を切らない判断)
こうした要素を、20%ずつ重ねていくことはできる。
一つ一つは突出していなくとも、掛け算をすれば、到達できる場所は確実に変わる。
これは派手ではないし、時間もかかる。成果もすぐには見えない。
これからの10年は何か一発を当てに行く時間ではないと感じています。
・自分の限界を受け入れて
・人生をフェーズで捉えて
・生存戦略を意識的に選び
・それを言語化し続ける
そうやって、「何があっても、何とかなる状態を作りにいく」
人の役に立ちたい、という気持ちは今も変わらない。けどそれは、自己犠牲の上に成り立つ形じゃない。
自分を守りながら、選択肢を増やしながら、構造として人の負担を減らす側に回る。
それが、今の自分が選んだこれからの10年の歩み方になります。



